ランドセルを背負って学校に行く子供たちを救うには「叫ぶ」訓練ではだめ
神戸で起きた小学校1年生の女の子が体をバラバラに刻まれて廃棄されました。
残酷で奇異な事件だからマスコミがこぞって放送しています。
この女の子はもうランドセルを背負って学校に通う事も、ランドセルを背負って下校することもできません。
犯人は47歳の男だとみられています。
こういった危険な人物から地域や自分の子供を守るにはどうしたらいいのでしょうか。
児童を犯罪被害から守る有効な手段はあるのか
こういう時に全国の学校で流行るのが「知らない人(男)に話しかけられたら、みんなどうするの?」と先生が聞くと、子供たちは一斉に「助けて〜」と叫ぶというような授業をしています。
一見すると正しいように見えますが、こんな教育で良いのだろうかと暗い気持ちになってしまいました。
それに先生と呼ばれる人の単純さに「先生こそ大丈夫か?」と突っ込みを入れてしまいました。
男性は心配はしても具体的に行動しなくなる
なぜ気持ちが落ち込んだのか。それには幾つか理由があります。
一番大きな理由は「知らない人に話しかけられたら助けてと叫ぶ」という単純な反応を子供たちがするとしたら、男性は誰も子供たちに声を掛けなくなってしまいます。
どうしたのか心配に思って声を掛けたら、逆に不審がられて学校や親が教えたように、大声を出されてしまう事は十分あることです。
すると子供の大声を聞きつけた人がやってきて、取り押さえられ警察に突き出される事は容易に想像できてしまいます。
痴漢の冤罪事件などと似た性格があるから誰も痛くもない腹を探られたくない。そして知らぬ顔をしてしまう。
折角の善意が警察に連れて行かれるという最悪の事態になったら仕事を失うかもしれませんね。
家族までもがかなり辛い思いをするでしょう。
警察に行ってそんなつもりは無かったと言っても、子供が泣いていれば信じてもらえるとも思えません。
顔見知りでも危ない時もある
話は変わりますが、大人が子供の顔見知りだから安全かというと、そうも言えません。
逆に顔見知りが犯人だったという例は少なくないと知っている人も多いでしょう。
だから結局、叫ぶ練習をしても殆ど無意味ということにならないか。無意味どころか、本当に危ないときでさえ本来は助けてくれるはずの大人が見て見ぬふりをしてしまうことになってしまう。
児童や幼児を巡る凶悪な事件は増えてはいない
それに児童や幼児を巡る凶悪な事件が増えているような報道ぶりだが、決してそんなことはありません。
現在はむしろ戦後から昭和にかけての犯罪率よりも減っているんです。
少年による凶悪事件もかなり減っています。
昔よりはかなり事態は良くなっているのが真実です。
でもいつの時代でも今回のような事件は起こってしまいます。
子供が叫ぶというような単純な行動が役立つような事件ではありません。
本当の凶悪事件はもっと次元が違う事を親や先生が理解しないといけない。
このあたりの事をもっと研究して、ステレオタイプな「助けてと叫ぶ」なんて陳腐な方法ではなく、しっかりと効果のある方法を訓練することが必要です。
6年間我が子がランドセルを背負って通学し、無事に卒業してほしいとどの親も願っているんだから。